高円宮杯とは

高円宮杯とは

今年で75回目を数える本大会は、数多くの優秀な人材を輩出し、中学生向けのものとしては国内最高レベルのスピーチコンテストです。
本大会が始まったのは、戦後間もない1949年(昭和24年)。大会創始者の鈴木啓正は、戦後日本の立ち直りのために青少年の英語教育が必要であると考え、高松宮殿下を名誉総裁にお迎えして第1回の大会を開きました。1999年(平成11年)より高円宮殿下をお迎えして高円宮杯全日本中学校英語弁論大会となり、 現在は高円宮妃殿下を名誉総裁にお迎えしております。
11月に東京で行われる中央大会では、全国から選抜された中学生151名が高円宮杯を目指し、スピーチの腕を競います。
期間中、参加生徒は同じ宿に泊まり、3日間の大会を通して強い絆を作って帰っていきます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。

高松宮杯・高円宮杯のルーツ

昭和20年、日本は敗戦の只中にあり、世の中は混沌としていましたが、その翌年(昭和21年)の春、 高松宮殿下の格別のご配慮により日本学生協会本部が発足しました。 その目的は「将来国際社会の一員として日本を背負う若い人に、国際語である英語を熟達させると共に、 広くその普及を図り、日本文化の発展ならびに国際親善に寄与する」ことにありました。

この目的のために、高松宮殿下は宮杯をご下賜くださいました。そして昭和24年に、読売新聞社と共催、都道府県教育委員会後援により、 高松宮杯第1回全日本中学校英語弁論大会が開催されました。この第1回の決勝大会には、当時高校1年生の上皇陛下(当時皇太子殿下)がご臨席なさいました。当時は米軍の占領下で、日本の若者の多くが将来に失望していましたが、この大会の旗揚げは、若き学生達の心に希望の灯をともし、大きな夢を持たせたものでした。

 

それ以来、この大会はますます盛大になり、今では校内予選大会の参加者が全国で約5〜10万人を数え、日本の英語教育の幅広い底辺を形作るまでに成長しました。

昭和60年4月、日本学生協会本部は読売新聞社、国際ソロプチミスト東京-東、(株)日本コカ・コーラ、パーカーペンジャパン社(現 Newell Brands Japan)、茜会、仙台育英学園、(株)グロリア・ツーリストなど各界の後援を得て、 「21世紀の日本を担う、国際性豊かな青少年を育てるために、国際語である英語を熟達させると共に、広くその普及を図り、日本文化の発展ならびに国際親善に寄与すること」と 目的を改め、JNSA基金(日本学生協会基金:JAPAN NATIONAL STUDENT ASSOCIATION FUND)と改称しました。

JNSA基金および大会の名誉総裁には、創設当初より高松宮殿下をお迎えしていましたが、昭和62年に高松宮殿下が薨去あそばされた後、高円宮同妃両殿下が引き継がれました。大会が51回目を迎えるにあたり、高円宮殿下より新しい宮杯を賜り、「高円宮杯全日本中学校英語弁論大会」として新しい半世紀のスタートを切りました。平成14年11月に高円宮殿下が薨去あそばされた後も、高円宮妃久子殿下には引き続き名誉総裁をお引き受け頂いており、現在に至っています。